この日を記す

ライター西森路代の仕事とかいろいろ

記号で見られないことは幸運かもしれない

R-1ぐらんぷりを見た。ゆりやんレトリィバァは今日も面白い。何がよいって、けっこう日々の疑問をネタに落とし込んでいるところかもしれない。彼女はかつて、自分が実力よりも注目されていないことにも疑問を持っているような場面を見かけた。ブルゾンちえみの密着番組に、ゆりやんがちょこっと映っていたときだった。

しかし、今となっては、必要以上に持ち上げられなかったブルゾンの幸運を思う。もちろん持ち上げられたというか、一時期にわーっと話題にされる人にも同じように才能があっても、過剰に持ち上げられた分、一過性のものと世間からみなされがちになることもある。一時期に過剰に持ち上げられると、時間が経つと、同じように別の人を持ち上げることの繰り返しになる。そこに入れられないということは、ある意味幸運なのかもしれない。記号で見られないことは幸運なのであると。ときに、その記号を過剰に利用するという猛者もおるけども。

それは何も女性に限ったことじゃないかもしれない。先日、劇団MONOの取材で、土田英生さんに取材をしてきたんだけれど、劇団も出てきたときにはわっと話題にされるそうで、「自分が20年前に演劇を始めて、そのときは雑誌とかで取り上げられて俺たちもイケるのかもとも思えたし」「若手が次々と出てくるとそこに注目が行くということの繰り返しで、出てきた後が大事なんですよね」と語っていた。

確かに、自分や自分の周りでも思い当たる。三年前は、この劇団を見ておかないといけないという空気ができていたと思っても、現在は、また違う劇団を目撃しとけという空気はある。でも、結局は一過性で過剰に話題にされようが、そのとき注目はさほどされなかろうが、本人が続けようと思っている限りは、続いていることだけが重要なのかなと思った。